さだまさし「追伸」の歌詞について全力で解説
さだまさしの屈指の名曲の一つである「追伸」について全力で解説しようと思います。
そもそも追伸なんて今の時代に使う機会はないです。
手紙からメール、メールからLINEと文字でのメッセージの伝え方は変わってきています。
仕事ですら、Slackなどがメインでメールはほとんど使わなくなってきました。
手紙なんてもってのほかです。
短文でのやり取りが連続するLINEやSlackでは追伸なんてまずありえないし、
今の若い世代では追伸なんて言葉すら知らない人もいるのではないでしょうか。
一応知らない方のために、追伸についてWikiから参照してみます。
追伸 (ついしん)とは、 手紙などの最後に、付け加える形で足された文章のこと。二伸。英語のpostscriptの頭文字からP.S. P.Sとも書く。
通常、手紙の末尾、宛先・差出人名が書かれたさらに後に、「追伸」「追」「P.S.」「P.S」と頭につけて書かれる。
手書きで作成することが多い手紙では、書き忘れた文を本文内に挿入することができない。また最初から書き直すのも大変なので、よく使われる便利な言葉である。よって、電子メールで追伸を使用するのは原理的にありえないはずだが、「追伸」をそれまでの話題を変えるための語、一呼吸置くための語として解釈している人が多く、現在ではそのような用途で使っている人もいる。
なお、目上の人に出す手紙を追伸で済ませるのは失礼とされ、面倒でも最初から書き直すのがマナーとされている。
上記説明にある通り、本来追伸は非電子的な媒体を用いるときに使われる手法です。
しかし、文字媒体が変わっていくにつれて、追伸の持つ意味、使い方も変わっていきました。LINEのような会話みたいに1文のやり取りで話題が完結していくツールでは、メールでも生きていた追伸も、途絶えようとしています。
さだまさし曰く、歌は歌詞から死んでいく。どんなに時代が流れても、生き残る言葉を歌に使っていきたいと。曲の追伸がリリースされたのは1991年。この頃は携帯電話もなく、Windows95もありません。なので当然メールもありません。そして私もまだ産まれていません。慧眼を持っているさだまさしも流石にこの時代の流れを読むことはできなかったのでしょう。途絶えつつある追伸というものを、少しでも長く生きてもらえるように、このブログで解説していこうと思います。
撫子の花が咲きました 芙蓉の花は枯れたけど
私は小学校で習いましたが、手紙の冒頭は時候の挨拶から始まります。
撫子の花とは夏から秋にかけて咲く、秋の七草のひとつです。季語は≪夏≫。
大和なでしこと言われるように美しい女性を形容する際に使われます。
大和なでしことは、容姿端麗な女性、男性の理想的な女性を指す言葉として使われます。
ただWikiにも書いてある通り、価値観の変化に伴って大和なでしこは現代においては絶滅しているようですね。
続いて芙蓉の花は枯れたけど、と歌詞は続きます。
これもまた有名な蓮の花のことで、季語は≪秋≫です。撫子と同様に美人な女性を形容する際に使われることもあります。
ここであれ、となります。
撫子の季語は≪夏≫、芙蓉の季語は≪秋≫です。つまり、時系列的には撫子のあとに芙蓉が咲く流れなのですが、撫子が咲くタイミングで芙蓉が枯れてしまっています。
詳しく調べてみると、撫子の花は一度咲いても長く持ちますが、芙蓉の花は一度咲くと1日で枯れてしまいます。タイミング的には同時期に咲くことはありますので、芙蓉の花が枯れた後に撫子の花が咲くことはありそうです。
しかし、もちろんそんな季節の景色を冒頭で描いているだけではないのがさだまさし。
この冒頭の書き出しの意味は歌詞を追っていくごとに鮮明になっていきます。
あなたがとても無口になった秋に
ここで「あなた」という登場人物が出てきました。宛先となる人物です。
無口とは突然あなたが根暗になったとかそういう意味ではなく、
手紙の差出人である私に対して話しかけなくなってきたという意味です。
秋とは変化の季節です。天気は移ろいやすく、景色も深緑から紅葉に変化していきます。
そして人の心も変化していくのが秋です。
こわくて私聞けませんでした
だんだんとこの手紙の内容がわかってきますね。失恋を自分で確認するは嫌ですね。
あなたの指の白い包帯 上手に巻いてくれたのは誰でしょう
風のうわさですが、昔は男性生徒の怪我の手当てを女子生徒がやることがあったみたいですね。私は追伸という曲を初めて聞いたのが中学2年生で、当時は保健の先生が綺麗に手当てしてくれたんだなーって思っていました。当然ですが、この中学2年生の出した答えは間違いです。「上手に」包帯を巻いたのは冒頭に出てきた「撫子の花」です。
冒頭の”撫子の花が咲きました”とは、「あなた」の中に大和なでしこの如く美人で「器用な女性」が咲いたと告発しているのです。
風に頼んでも無駄ですか 振り返るのは嫌いですか
ここからサビになります。本人には直接聞けないので風にでも頼みたい。けど、答えは分かりきっているのでしょう。そして一度吹いた風は戻らず、次へ次へと風は進み、過去を振り返らないのでしょう。ここで、まほろばにも出てきた方丈記の本歌取りのように、一度過ぎた時は戻らない仏教感が表れています。
どこにもある様なことですか 私 髪を切りました
失恋はどこにでもあるようなことですし、言い出せずに枯葉の如く散ることもよくあるパターンです。髪を切るという行為は夫が死んだときに出家する行為から転じて失恋を表現する説、意中の男性のために伸ばした髪が失恋で意味がなくなったから切る説など、いろいろな説がありますが、どの説でも失恋を表現する言葉です。
今の時代の女性もそうなのでしょうか?古いと一蹴されそうです。
ここまでが歌詞の1番ですが、1番で表現されているのは綺麗で器用な女性です。
それに対比するように2番が始まります。2番は枯れた芙蓉の花です。
芙蓉の花は、「不要の花」の掛詞で「あなた」の中で「私」は不要で枯れて消え去ったと告発していたのです。
たとえば今日のあなたのこと 他の人と楽しそうに笑ってた
恨みったらしい書き出しで正直こんな手紙を受け取ったらとても怖いです。
ただ、ここで重要な単語が出てきます。「今日」です。ここでこの手紙を書いているきっかけがわかりそうです。「他の人」とは、おそらく憎き「大和なでしこ」ですね。
あなたの声が眩しくて 耳をふさぎました
追伸という曲の中で最も私が大好きな表現です。
「私」の感情がすべて表されています。
耳をふさぐという行為は音や声がうるさい時に使う動作です。ムンクの叫びのようにです。
「聞きたくない」という拒絶の意思によって人は耳をふさぐのです。
ここでは片思いしていた「あなた」の、他人のために笑っている声を聞くのがつらくて、耳をふさぐのですが、ふさぐ理由が「うるさいから」ではないんです。「眩しいから」なのです。「うるさい」は拒絶の意思が含まれています。しかし「眩しい」は拒絶の意思ではなく、見たい(聞きたい)けど、見る(聞く)ことができない葛藤であり、決して拒絶の気持ちはないよと「私」の未練たらたらな思いが表現されているフレーズです。
好きな人の笑い声なんだから、本当は聞いていたいんですよね。聞いていたいはずなのに、つらくて聞き続けることができない。それを表現する言葉が「眩しい」なのです。さだまさしは本当に天才です。
下手なくせにあなたの為に 編みかけた白いベスト
1番との対比です。1番では包帯を上手に巻ける「器用な女性」でしたが、2番ではベストを編むことができない「不器用な私」です。
母から聞いたのですが、昔は手編みのベストを男性に送る風習があったみたいですね。
自信はないけど、それでも好きな人のためにベストを編もうとするところに私の思いの強さと健気さがあります。ただそれも「下手なくせに」と今では自らを蔑んでいますが。
やはり夢でした ほどき始めましょう
想像するだけで涙できるほど悲しすぎます。
下手なので時間がかかっていたのであろう、手編みのベストを傷心のまま自分の手でほどいていくのは辛すぎます。
あなたに借りた鴎外も 読み終えていないのに
本の貸し借りをするということは、相手と共通の話題を得ることができるということの他にも、借りたら必ず返さなきゃいけないので、次に話すきっかけを作れるという恋愛テクニックみたいです。私が小学生や中学生の時は周りはそのテクニックを当然のようにやっていたのですが、私に本の貸し借りを頼むような人はおらず、その真意を知るのは大学生ぐらいになってからでした。周りはどうやって知っていたのでしょう。ちゃおにでも書いてあるのでしょうか。コロコロにもジャンプにも書いてありませんでした。
さて、ここで更に「私」に追い打ちをかける辛い事実があります。借りた鴎外の本が借りっぱなしなのです。失恋して傷心して耳をふさぎたいほどの「あなた」に本を返さなければいけないんです。
ちなみに鴎外の何の本を借りたんでしょうね?
追伸以外では「無縁坂」で鴎外の『雁』が出ていますが、同じ本でしょうか?
最後のわがままですあなたの 肩巾教えてください
未練がすごく残っています。何故ベストが編みかけだったのかがわかりますね。
ずっと肩幅(巾)を聞くことができなかったので、ベストが完成させることができなかったんですね。そもそも手編みのベストは思いを伝えるために編むみたいですが、肩幅なんて聞いていたらサプライズにならないので、昔はどうやって肩幅を聞いていたのかと思っていたのですが、どうやら抱き着けばわかるみたいですね。どっちもハードル高いよ。
さっきまでベストをほどこうとしていたのに、ここで肩幅を聞く意図は何かと考えると、これもまた辛いですが、きっとベストを完成させてから、一本一本ほどくつもりなんですね。
風に頼んでも無駄ですか 振り返るのは嫌いですか
どうしようもなさがありますね。
どこにもある様なことですか 私 髪を切りました
今は編みかけのベストをほどくようなことをすることは滅多にない時代かと思いますが、当時はよくあることだったのですかね。
以上でさだまさしの「追伸」の歌詞の解説が終わりとなりますが、歌詞だけ読んでみるととても怖くて暗いのですが、高音で歌い上げるさだまさしの美声によって明るく感じられます。
さて、ここからが本題です。この歌詞のタイトルは「追伸」です。上記歌詞は手紙の本文ではなく、手紙の最後に付け足されたものです。つまり、上記歌詞の前には「本文」が存在するはずです。この本文には一体何が書かれていたのでしょうか?
この「私」の性格から察するに、追伸が書かれていた手紙はずっと渡すことが出来なかったラブレターだったのだと思います。
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