さだまさし「晩鐘」の歌詞について全力で解説
今回はさだまさし屈指の名曲「晩鐘」について私なりの解釈を元に解説をしていこうと思います。
以前アメブロで書いた記事ですが、ブログ引っ越しに伴って再投稿しました。
あらかじめ、言っておくと、歌の解釈は人それぞれで、自分なりの解釈で楽しんでいればそれでいいんです。どっかの誰かみたいに女性蔑視だの何だの叫んだりしたってしょーもないことなのです。だから、私の解釈は絶対ではありませんし、自分と異なるからといってそれに特別な感情を持つ必要はありません。
それでは私なりの解釈を述べていこうと思います。
この「晩鐘」という歌の特徴は何と言っても
まぶたの裏に白黒の世界が描かれる程の歌詞にあります。
初見の方は余裕があれば一度この曲を聴いてみてほしいです。
https://www.joysound.com/web/search/song/189918
もちろん、【冬】ですね!
冒頭の「風花」は【雪】のことを言います。
wikipediaでは以下のように書かれています。
『風花(かざはな、かざばな)は、晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。あるいは山などに降り積もった雪が風によって飛ばされ、小雪がちらつく現象のこと。』
では、なぜ、この雪を花と呼んだのでしょう?
それは、モチーフになった花があるからです。
木犀という花をご存知でしょうか?
木犀という言葉を聞くと、良い香りのする金木犀を思い浮かべる人が多いと思いますが(私も最初は金木犀を思い浮かべました。良い匂いですよね)ここでは、銀木犀を指します。この銀木犀の花びらが散る様が雪のようであることから、雪を風花と呼ぶようになったと言われています。
この銀木犀の季節は9−10月。金木犀はそれより少し早いなどと言われています。
この銀木犀が物語にまた関わってくることになります。
「君の髪に舞い降りて」の君の髪は何色でしょう?
ここは個人の自由に任せる範囲になると思います。私は黒色をイメージします(歌全体のイメージがモノクロであるので自然と想起されます)。人によっては茶髪を想像したりするのでしょうか。
白黒の世界に突然【赤色】が浮かび上がってきました。とても強調されていますね。
相手が女性であると強調されています。
「秋の終わりを白く縁取る」
さだまさしのセンスが光りまくりです。
秋の季節が終わったことを確認しているのでしょうか?雪が降れば人は誰でも秋が終わったと感じ、冬の到来を感じると思います。特に最近は秋なのに暑い日が続くので、いつから冬になるのかわからないことが多いのではないでしょうか。
しかし、気になるのは「秋の終わりを」というところです。雪が降り積もる対象は女性ではなかったのでしょうか?それがいつの間にか秋が対象になっています。
【秋】=【飽き】だとしたら、また変わった解釈ができるのではないでしょうか?
つまり女性が自分に対して飽きていてしまっていることを指しているのではないでしょうか。女性が飽きてしまい、そして恋が終わってしまう。。。ってことを表現して「飽きの終わりを白く縁取る」とすると歌詞に深みが出てきそうです。
今この歌の男性はもう少しで約束の場所に到着するみたいです。「次の交差点」ですから、今この男性が立っているのは、その一つ手前の交差点か横断歩道といったところでしょうか。
さだまさしの歌詞はとても視覚的な表現がとても多いですね。平静を装おうとしているのでしょうか。そして冬支度って具体的に何をしているのでしょうか?
私は手袋をしたのだと思います。それは次の歌詞が以下だからです。
「指」「ぬくもり」、それを逃さないようにする手段といえば、ポケットに手を入れるか、手袋をはめるかですね。吐息であっためるということもするかもしれませんが、今回はそれは当てはまりそうではありません。
この歌詞はちょっと難解に感じられるかもしれません。
この歌詞からわかることは、相手の女性の心境と場所です。
信号が待ちきれない時ってどんな時でしょう?遅刻している時やトイレを我慢している時などは本当に信号が待ちきれないと思います笑。ともあれ、一刻でも早く渡って何かをしたい時ですよね。この女性は一刻でも早く別れたいのです。
そして、その女性はどこにいるのでしょう?「向こう岸」が誰目線かによって場所が変わりますよね。男性目線ならば、その女性は男性の前を歩いてることになります。また、女性目線であるならば、男性と向かいあって、ちょっと遠くの交差点から向かって歩いてきていることになります。この歌詞の冒頭で女性の唇が男性から見えていることから、相手の女性は男性と向かいあっていることになりますね。
そして、早速男性と女性の気持ちの対比が表れています。
先ほど、男性は平静を装おうとしていました。本当は男性は約束の場所に行きたくなどないのです。重い足を引きずりながら、それでもぐっと堪えています。
それに比べて女性の足はとても軽快で、早く約束の場所に行こうとしています。
なんとも言えない悲しさがあります。。。
いちょうもみじと読むのですが、銀杏の葉っぱは緑色から黄色になるので、紅葉と書かずに、「黄葉」と書くのは素晴らしいです。今、男性が見ている景色がどのようなものか、想像が掻き立てられます。銀杏の葉が舞い散っているということは風が吹いています。その交差点で風が止まったという表現は、本当に風が吹き止んだのか、それとも主人公の男性の心境的に、ついにこの時が来てしまったのかと、思って風が止まったかのような感覚になったのか。はたまた、歩いてるから銀杏の葉が舞い散っているように感じ、お互いが出会って立ち止まったから、動く景色も止まった、そのことを風が止まったと言っているのか。
正直どの解釈でも私は良いと思うのですが、少なくとも、風が止まったとは、二人が出会ったことを表現した言葉ですよね。
ここで歌詞の一番は終わりです。
2番からは、交差点で出会った後の話から始まります。さだまさしの歌詞の特徴は1番と2番が物語としてよく繋がっていることですよね。
1番の冒頭の雪の表現がここで活きてきていますね。
まるで雪のような儚い哀しみを感じることができます。
そして、この哀しみは1番の「ぬくもり」のことを指しているのでしょうね。
おお、もう、、、男性の気持ちが如実に表現されています。
「哀れ蚊」とは何か。それは、夏を過ぎた季節外れの蚊。秋や冬に出てきてしまった蚊のことです。もちろん蚊は夏の生き物です。しかし、夏に生まれた蚊と違い、寒い時期に生まれてきてしまった蚊はとても弱々しいです。血を吸う力も残ってないほどに。それ故にむやみに殺してはならないと諭される生き物なのですが、蚊にとってみればもう直ぐ死ぬ運命なのに、死に物狂いで生きようとしているんです。
男性の気持ちも、もう直ぐ儚く終わる運命だとわかっているんだけど、それでもまだ好きでいたいという気持ちでいるんです。(;_;)
こちらも、先ほど風花の件りで紹介されました花です。木犀は通常銀木犀を指します。
今降っている雪と掛けられていることがわかりますね。木犀の花言葉は【初恋】です。
その【初恋】の花が今にも散っていっているのです。けれど、散りそびれたとはつまり、なんとか【初恋】の花が散らないでいてほしいという男性の想いが表れています。まだ、男性はその女性のことが好きなんです。
相当男性の心境がやばいことになっていますね。。。
相当ショックなのでしょう。
現実逃避するほどショックを受けています。けれど、そのショックも曲調からか、すごく静かな印象を持ちます。今までの二人の出来事を思い返しているのでしょうね。
本当に痛々しいのは自分なはずです。女性は早く早くと別れたい気持ちでいっぱいで腹が据わっています。あまりにも二人の思い出が名残惜しくて、終わってほしくなくて、その気持ちがとても強くて、別れの言葉を言わせまいとしてしまったのでしょう。男性の悲痛な想いが伝わります。それとも、いざ別れ話をする時に女性の捲したてる言葉の羅列を女性が無理をして言っていることを痛々しいとしているのでしょうか。私にはそれすらも男性が無理をしていると、そう思い込みたいだけのように感じます。
先ほどの1番の歌詞よりもっと難解です。
きっと気持ちだけ急いでしまって、本当の気持ちを確認していなかったのでは?と男性が思い込みたいのでしょうか。ともあれ、次の歌詞が私が一番好きなものになります。
失恋は振られた側が被害者になり、とても動揺し大きく感情が揺さぶられます。
だけど、ここで男性は冷静になるんですね。
付き合った時は一生不変だと思っていた女性の好きであるという気持ち、付き合った時は将来の自分の好きであるという気持ちがなくなっているとは夢にも思わなかったでしょう。まさか男性を愛してむしろ男性が心変わりして振られないかビクビクしていた女性の方から心変わりしてしまうなんて、想像しなかったはずです。それがいざ時が経ってみれば、自分の方が心変わりしてしまったのですから。
男性は女性のことが好きなままです。まだ、自分が心変わりしてしまうなんてことは一片も考えていないことでしょう。だから、驚きはあくまで、女性の心変わりに対するものだけです。けれど、相手が心変わりしないかビクビクして、いざ心変わりするのと、想像もしてない自分が心変わりしてしまうことの驚きを比較したら、女性の方が驚きが大きいのかもしれませんね。
ともあれ、この男性は偉いです。立派です。自分は被害者と主張して泣きわめきたいところなのでしょう。でも、我慢しています。だんだんと名残惜しかった気持ちに決別ができてきています。
どんどん女性が先に行ってしまいますね。
これは男性と女性どっちのことを指しているんでしょう?
浮浪雲は女性で、桐一葉は男性でしょうか?
女性が自分から離れていってしまったと解釈するなら浮浪雲は女性でしょうね。男性が取り残されたとも見ることができます。桐一葉は桐の葉が落ちることで秋の到来を告げるように、何かが衰退していくことを指すようです。儚さが表現されています。
余談ですが、浮浪雲は漫画のタイトルみたいですね。また、桐一葉も坪内逍遥の歌舞伎の演目らしいです。
さだまさし文学の結晶です。
先ほど風(時?)が止まった交差点で、再び景色が動き出します。歩き始めたのでしょう。「想い出と出会った」この一言で全てがわかるような気がします。想い出になったということは、女性はもう男性のものではなくなったということがわかります。「吸い殻の風景」のような感覚がしますね。想い出に連続性はありません。途切れて初めて想い出になります。男性の決別した気持ちがわかりますね。哀れ蚊のような男性の気持ちに区切りができたのでしょう。未来に向かって歩き始めました。
以前アメブロで書いた記事ですが、ブログ引っ越しに伴って再投稿しました。
あらかじめ、言っておくと、歌の解釈は人それぞれで、自分なりの解釈で楽しんでいればそれでいいんです。どっかの誰かみたいに女性蔑視だの何だの叫んだりしたってしょーもないことなのです。だから、私の解釈は絶対ではありませんし、自分と異なるからといってそれに特別な感情を持つ必要はありません。
それでは私なりの解釈を述べていこうと思います。
この「晩鐘」という歌の特徴は何と言っても
まぶたの裏に白黒の世界が描かれる程の歌詞にあります。
初見の方は余裕があれば一度この曲を聴いてみてほしいです。
https://www.joysound.com/web/search/song/189918
風花がひとひらふたひら 君の髪に舞い降りて
出だしの時点で、この曲の【季節】がわかります。もちろん、【冬】ですね!
冒頭の「風花」は【雪】のことを言います。
wikipediaでは以下のように書かれています。
『風花(かざはな、かざばな)は、晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。あるいは山などに降り積もった雪が風によって飛ばされ、小雪がちらつく現象のこと。』
では、なぜ、この雪を花と呼んだのでしょう?
それは、モチーフになった花があるからです。
木犀という花をご存知でしょうか?
木犀という言葉を聞くと、良い香りのする金木犀を思い浮かべる人が多いと思いますが(私も最初は金木犀を思い浮かべました。良い匂いですよね)ここでは、銀木犀を指します。この銀木犀の花びらが散る様が雪のようであることから、雪を風花と呼ぶようになったと言われています。
この銀木犀の季節は9−10月。金木犀はそれより少し早いなどと言われています。
この銀木犀が物語にまた関わってくることになります。
「君の髪に舞い降りて」の君の髪は何色でしょう?
ここは個人の自由に任せる範囲になると思います。私は黒色をイメージします(歌全体のイメージがモノクロであるので自然と想起されます)。人によっては茶髪を想像したりするのでしょうか。
そして赤い唇沿いに 秋の終わりを白く縁取る
白黒の世界に突然【赤色】が浮かび上がってきました。とても強調されていますね。
相手が女性であると強調されています。
「秋の終わりを白く縁取る」
さだまさしのセンスが光りまくりです。
秋の季節が終わったことを確認しているのでしょうか?雪が降れば人は誰でも秋が終わったと感じ、冬の到来を感じると思います。特に最近は秋なのに暑い日が続くので、いつから冬になるのかわからないことが多いのではないでしょうか。
しかし、気になるのは「秋の終わりを」というところです。雪が降り積もる対象は女性ではなかったのでしょうか?それがいつの間にか秋が対象になっています。
【秋】=【飽き】だとしたら、また変わった解釈ができるのではないでしょうか?
つまり女性が自分に対して飽きていてしまっていることを指しているのではないでしょうか。女性が飽きてしまい、そして恋が終わってしまう。。。ってことを表現して「飽きの終わりを白く縁取る」とすると歌詞に深みが出てきそうです。
別れる約束の次の交差点向けて
今この歌の男性はもう少しで約束の場所に到着するみたいです。「次の交差点」ですから、今この男性が立っているのは、その一つ手前の交差点か横断歩道といったところでしょうか。
まるで流れる水のように 自然な振りして冬支度
さだまさしの歌詞はとても視覚的な表現がとても多いですね。平静を装おうとしているのでしょうか。そして冬支度って具体的に何をしているのでしょうか?
私は手袋をしたのだと思います。それは次の歌詞が以下だからです。
僕の指にからんだ最後のぬくもりを覚えていたくてつい立ち止まる
「指」「ぬくもり」、それを逃さないようにする手段といえば、ポケットに手を入れるか、手袋をはめるかですね。吐息であっためるということもするかもしれませんが、今回はそれは当てはまりそうではありません。
君は信号が待ちきれないように向こう岸に向かって駆けてゆく
この歌詞はちょっと難解に感じられるかもしれません。
この歌詞からわかることは、相手の女性の心境と場所です。
信号が待ちきれない時ってどんな時でしょう?遅刻している時やトイレを我慢している時などは本当に信号が待ちきれないと思います笑。ともあれ、一刻でも早く渡って何かをしたい時ですよね。この女性は一刻でも早く別れたいのです。
そして、その女性はどこにいるのでしょう?「向こう岸」が誰目線かによって場所が変わりますよね。男性目線ならば、その女性は男性の前を歩いてることになります。また、女性目線であるならば、男性と向かいあって、ちょっと遠くの交差点から向かって歩いてきていることになります。この歌詞の冒頭で女性の唇が男性から見えていることから、相手の女性は男性と向かいあっていることになりますね。
そして、早速男性と女性の気持ちの対比が表れています。
先ほど、男性は平静を装おうとしていました。本当は男性は約束の場所に行きたくなどないのです。重い足を引きずりながら、それでもぐっと堪えています。
それに比べて女性の足はとても軽快で、早く約束の場所に行こうとしています。
なんとも言えない悲しさがあります。。。
銀杏黄葉の舞い散る交差点で たった今風が止まった
いちょうもみじと読むのですが、銀杏の葉っぱは緑色から黄色になるので、紅葉と書かずに、「黄葉」と書くのは素晴らしいです。今、男性が見ている景色がどのようなものか、想像が掻き立てられます。銀杏の葉が舞い散っているということは風が吹いています。その交差点で風が止まったという表現は、本当に風が吹き止んだのか、それとも主人公の男性の心境的に、ついにこの時が来てしまったのかと、思って風が止まったかのような感覚になったのか。はたまた、歩いてるから銀杏の葉が舞い散っているように感じ、お互いが出会って立ち止まったから、動く景色も止まった、そのことを風が止まったと言っているのか。
正直どの解釈でも私は良いと思うのですが、少なくとも、風が止まったとは、二人が出会ったことを表現した言葉ですよね。
ここで歌詞の一番は終わりです。
2番からは、交差点で出会った後の話から始まります。さだまさしの歌詞の特徴は1番と2番が物語としてよく繋がっていることですよね。
哀しみがひとひらふたひら 僕の掌(てのひら)に残る
1番の冒頭の雪の表現がここで活きてきていますね。
まるで雪のような儚い哀しみを感じることができます。
そして、この哀しみは1番の「ぬくもり」のことを指しているのでしょうね。
時を失くした哀れ蚊の様に 散りそびれた木犀みたいに
おお、もう、、、男性の気持ちが如実に表現されています。
「哀れ蚊」とは何か。それは、夏を過ぎた季節外れの蚊。秋や冬に出てきてしまった蚊のことです。もちろん蚊は夏の生き物です。しかし、夏に生まれた蚊と違い、寒い時期に生まれてきてしまった蚊はとても弱々しいです。血を吸う力も残ってないほどに。それ故にむやみに殺してはならないと諭される生き物なのですが、蚊にとってみればもう直ぐ死ぬ運命なのに、死に物狂いで生きようとしているんです。
男性の気持ちも、もう直ぐ儚く終わる運命だとわかっているんだけど、それでもまだ好きでいたいという気持ちでいるんです。(;_;)
散りそびれた木犀みたいに
こちらも、先ほど風花の件りで紹介されました花です。木犀は通常銀木犀を指します。
今降っている雪と掛けられていることがわかりますね。木犀の花言葉は【初恋】です。
その【初恋】の花が今にも散っていっているのです。けれど、散りそびれたとはつまり、なんとか【初恋】の花が散らないでいてほしいという男性の想いが表れています。まだ、男性はその女性のことが好きなんです。
眩暈の後の虚さに似つかわしい幕切れ
相当男性の心境がやばいことになっていますね。。。
相当ショックなのでしょう。
まるで長い夢をみてた ふとそんな気がしないでもない
現実逃避するほどショックを受けています。けれど、そのショックも曲調からか、すごく静かな印象を持ちます。今までの二人の出来事を思い返しているのでしょうね。
心変わり告げる君が痛々しくて 思わず言葉をさえ切った僕
本当に痛々しいのは自分なはずです。女性は早く早くと別れたい気持ちでいっぱいで腹が据わっています。あまりにも二人の思い出が名残惜しくて、終わってほしくなくて、その気持ちがとても強くて、別れの言葉を言わせまいとしてしまったのでしょう。男性の悲痛な想いが伝わります。それとも、いざ別れ話をする時に女性の捲したてる言葉の羅列を女性が無理をして言っていることを痛々しいとしているのでしょうか。私にはそれすらも男性が無理をしていると、そう思い込みたいだけのように感じます。
君は信号が待ちきれなかっただけ
先ほどの1番の歌詞よりもっと難解です。
きっと気持ちだけ急いでしまって、本当の気持ちを確認していなかったのでは?と男性が思い込みたいのでしょうか。ともあれ、次の歌詞が私が一番好きなものになります。
例えば心変わりひとつにしても 一番驚いているのはきっと 君の方だと思う
失恋は振られた側が被害者になり、とても動揺し大きく感情が揺さぶられます。
だけど、ここで男性は冷静になるんですね。
付き合った時は一生不変だと思っていた女性の好きであるという気持ち、付き合った時は将来の自分の好きであるという気持ちがなくなっているとは夢にも思わなかったでしょう。まさか男性を愛してむしろ男性が心変わりして振られないかビクビクしていた女性の方から心変わりしてしまうなんて、想像しなかったはずです。それがいざ時が経ってみれば、自分の方が心変わりしてしまったのですから。
男性は女性のことが好きなままです。まだ、自分が心変わりしてしまうなんてことは一片も考えていないことでしょう。だから、驚きはあくまで、女性の心変わりに対するものだけです。けれど、相手が心変わりしないかビクビクして、いざ心変わりするのと、想像もしてない自分が心変わりしてしまうことの驚きを比較したら、女性の方が驚きが大きいのかもしれませんね。
ともあれ、この男性は偉いです。立派です。自分は被害者と主張して泣きわめきたいところなのでしょう。でも、我慢しています。だんだんと名残惜しかった気持ちに決別ができてきています。
君は信号が待ちきれなかっただけ
どんどん女性が先に行ってしまいますね。
流れに巻かれた浮浪雲 桐一葉
これは男性と女性どっちのことを指しているんでしょう?
浮浪雲は女性で、桐一葉は男性でしょうか?
女性が自分から離れていってしまったと解釈するなら浮浪雲は女性でしょうね。男性が取り残されたとも見ることができます。桐一葉は桐の葉が落ちることで秋の到来を告げるように、何かが衰退していくことを指すようです。儚さが表現されています。
余談ですが、浮浪雲は漫画のタイトルみたいですね。また、桐一葉も坪内逍遥の歌舞伎の演目らしいです。
銀杏黄葉の舞い散る交差点で たった今想い出と出会った
さだまさし文学の結晶です。
先ほど風(時?)が止まった交差点で、再び景色が動き出します。歩き始めたのでしょう。「想い出と出会った」この一言で全てがわかるような気がします。想い出になったということは、女性はもう男性のものではなくなったということがわかります。「吸い殻の風景」のような感覚がしますね。想い出に連続性はありません。途切れて初めて想い出になります。男性の決別した気持ちがわかりますね。哀れ蚊のような男性の気持ちに区切りができたのでしょう。未来に向かって歩き始めました。
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