深い歌詞と浅い歌詞の違いについて<対比・比較から考察>

前回は情報量の要素として人間の五感(五根)が重要である旨を記載しました。
こちらでは情報量を増やすために必要不可欠な対比と比較について説明します。

前回のおさらいですが、歌詞の深さ=情報量/文字数であると考えています。

歌詞を深くするもう一つの要素「対比・比較」について



さだまさしの曲を聴いているとこの対比がよく使われていることがわかります。
対比として特徴的な曲といえば「追伸」です。

♪撫子の花が咲きました 芙蓉の花は枯れたけど   
あなたがとても無口になった秋に  
こわくて私聞けませんでした  あなたの指の白い包帯  
上手に巻いてくれたのは誰でしょう♪
全歌詞(https://www.uta-net.com/movie/3084/)

追伸の冒頭のフレーズですが、早速対比が現れています。
具体的な詳細は後の歌詞を見なければわからないですが、ここで解説すると、
撫子=歌詞に出てきた包帯を上手に巻ける器用な女性。大和撫子のことです。
大和撫子は清楚で美しい女性を表し、季節は秋です。
昔見た辞書では器用という意味があった気がしますが、ネットでは見つからず。残念。
(参照:コトバンク

芙蓉の花とは追伸の歌に出てくる主人公・私のことです。
芙蓉には美しいという意味がありますが、残念ながら枯れてしまったようです。
ちなみに歌詞では芙蓉は不要という掛詞になっており、文字通りあなたにとって不要の女性になってしまったということを表現しています。これも季節は秋です。

このように冒頭に対比を持ってくることでそれぞれの登場人物とその役割の情報が与えられ、少ない歌詞でこの歌全体の情報量を底上げすることができています。

追伸という曲は一つのフレーズで対比を行う他、1番と2番の歌詞でも対比を行なっています。

♪下手なくせにあなたのために 編みかけた白いベスト 
 やはり夢でした ほどき始めましょう♪

これは 1番の包帯を上手に巻いた女性とうまくベストを編めない不器用な私を対比させています。対比させることによって私に取って代わられた女性との違いが鮮明になります。
やるせないのか、あきらめなのかそういった自虐的な気持ちも伝わってきます。
それにしても、編んでいたベストを自分でほどく作業は悲しすぎますよね、、、
追伸という曲はとても好きな曲なのでまた別の日に解釈の記事を書こうと思います。

ともあれ、情報量を増やすものとして対比・比較は重要であるということを説明しました。

その他の要素としては歴史があると思います。
お年寄りの言葉に深みを感じることがあるのは、その言葉に長い歴史があるからです。

さだまさしではよく本歌取りなど俳句から引用することで歴史的深みを与えています。
例えば前記事で説明した「指定券」の歌詞では下記フレーズが出てきます。

♪はじまる前から 終わる旅もある   
やはり野におけ れんげ草♪
(https://www.uta-net.com/movie/65481/)

これは播磨瓢水の「手に取るな やはり野におけ 蓮華草」から取っています。
蓮華草が美しいのはその周りの環境があってこそで、その環境を奪ってしまっては蓮華草の魅力もなくなるということをこの俳句は表しています。その俳句から引用することで短い文字数で多くの情報量を加えることができるようになるのです。

このように深い歌詞には情報量を多くするために多くの工夫がされています。
和歌や俳句など5/7/5の短い文字数で多くの情報を入れようとしてきた日本の歌作りです。私自身はこのような歌詞に魅力を感じ、日本の歌の魅力と思っていますが、歌詞のない歌という離れ業をさだまさしはやっていますので、歌詞の世界は奥深いんだなと思い知らされています。

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